中国漢字の「読み」に関しては、
「形と声において同じ系列の字であるから、
字義においても同声相受けるところがあるはずである」
(白川静『字通』、平凡社、1996年10月)が最大公約数だろう。
世界に数少ない、特徴のある単音節語である
中国語の漢字を「正しく」理解しようとすれば、
極めて論理的、実体に即した結論だ。
問題は、この「同声相受ける」は
「正しい」字形解釈に基づくかどうかだ。
中国では、「母国語」だけに、「通俗的な解釈」が横行している。
だが、「学問的に裏付けがないから」という、
それこそ「根拠のない」言い分だけで、
こうした試みや慣習を無視していいのか、それは違う。言葉は生き物だ。
「形と声において同じ系列の字」がなぜ「同声」なのかは、
逆に、なぜ「違う」かまでも説明できなければ不公平だ。
「声符の異なる字の間にも、声義近くして一系の語をなすものがある」(同書)。
「何々ならば何々だ」といった様々なルール(規則)を複数集め、
一つの結論を言語表現で得るファジー推論(「fuzzy inference」)がある。
できるだけ「字形」の「正しい」(もちろん限界はある)説明をして、
その字義を理解したうえで、同声(同声符)のそれ(字義)とが「fuzzy」に、
あいまいな雲の塊をなしているか、
それを「連想・芋づる式」と表現した。
本書は、部首や画数から引く字書ではない。
まだらにいくつかの中国漢字の声符
(発音記号、現代中国語はピンインを採用)、
つまり、読み方を体験している人が、
中国漢字の単音節体系全体はどんな姿なのか、
発音器官をフル活動させて出せる声符には
どんな分布とその数の濃淡があるか、を知る一助となればと願う。
「Risks」(危険)の「すべての可能性」が明らかになれば、
どんな対処策をとるかの知恵も出て来るまさしく、カード・ゲームの世界だ。
(以下略)