祖父今村明恒の遺志を継ぎ”Japans Dagregister”(オランダ商館日誌)から祖先の関連記事を抜粋し、一九九四年から約八年かけ訳出し『オランダ商館日誌と今村英生・今村明生』(ブックコム、二○○七)を刊行した。その動機や背景、経緯などは同書のあとがきに詳しいのでここでは省略する。
その翻訳原稿は二○○二年には完成していたが、二○○三年秋頃に日蘭学会イサベル・ファンダーレン女史の紹介で長崎文献社の堀憲昭氏が来訪し長崎人物叢書の対象として今村英生を採り上げるべく伝記の執筆を依頼された。内容は高校生が読んで理解できる程度とのことである。そこで商館日誌の記述を主な拠り所として、同氏の助言も採り入れ想を練り約半年で一応の完成をみた。しかしこの企画は沙汰やみとなり原稿は暫く冬眠状態となっていた。
時間的な余裕が生じたため二○○四年秋頃より九州大学ヴォルフガング・ミヒェル教授らが編纂したケンペル(Engerbert Kaempfer)の”Heutiges Japan”(日本誌 ─今日の日本─)(Iudicium Verlag GmbH、2001)の翻訳に着手した。約五年をかけ未刊ではあるが翻訳は完成した。そこで前述の伝記原稿を読み返し、手を加えることにした。
旧稿では今村英生とケンペルの関係を述べた箇所に今井正訳『日本誌 ─日本の歴史と紀行─』(霞ヶ関出版、一九七三)を引用していた部分があった。そこを今回は新たに翻訳を終えたばかりの”Heutiges Japan” からの引用に置き換えた。そのほかにも前回では引用出来なかった論文の紹介や新たな情報を追加することもできた。
オランダ通詞今村英生に関する研究・紹介記述としては先ず今村明恒『蘭学の祖今村英生』(朝日新選書4、朝日新聞社、一九四二)が挙げられる。当時は未だ若き日の英生がケンペルの薫陶を受けた事実が明らかにされていなかった。そのほかにも今村英生は歴史を専門とする例えば齋藤阿具、宮崎道生、辻達也、杉本つとむ、岩生成一、山脇悌二郎、金井圓、加藤栄一といった緒先生方により各専門分野で採り上げられている。まとまった研究資料としては片桐一男先生の緒論文と著書『阿蘭陀通詞今村源右衛門英生 ─外つ国の言葉をわがものとして─』(丸善ライブラリー一四五、丸善、一九九五)がある。
今回の伝記ではケンペルの謎の協力者発見の経緯や、ミヒェル教授のご好意で入手した大英図書館史料Sl 3062(ケンペル自筆日本語彙集)を引用し両人の勉学ぶりの一部を紹介することができた。また長崎におけるシドッチ尋問の詳細、その数年後のキリシタン屋敷での再判決などが明らかにされている。ほかにも今村英生が新井白石や将軍吉宗の洋学にいかに協力したかもある程度解明できたと思う。更には家族の冠婚葬祭の情報なども含まれる。
しかし本稿は史料の偏りから、ケンペルや歴代商館長の目を通した今村英生像の色彩が強い。今村英生の業績を紹介するという点においては調査不足であることも事実である。今後の発見も含めそれらの検証は次世代に期待する。