私は、昭和二年八月九日に、長野県小県郡中塩田村の五加というところで、依田善作・そめのを両親として生まれました。十一人兄弟でしたが、四人は小さい頃になくなったため、私の記憶に残っているのは、私の他に兄三人、姉一人、妹二人の七人兄弟でした。私は、小さい頃から野原を走り回って遊ぶ活発な子供で、両親を随分と手こずらせたようです。
尋常高等小学校の高等科を卒業した後、志願して横須賀の海軍工廠に入り、その後、鹿児島にあった海軍の鹿屋基地に飛行機の整備兵として配属されました。鹿屋は、戦争末期には特攻隊の基地となったところで、多くの若い飛行士が片道だけの燃料で爆弾を抱えて敵艦めがけて飛び立っていく姿を、随分と見送ったものでした。昭和二十年八月は、茨城県にあった百里原基地に異動しており、そこで終戦の詔を聞きました。
戦争が終わったので長野に戻り、しばらく実家で過ごした後、昭和二十三年に上京しました。戦災から復興途上にある東京で、いくつかの仕事を経験した後に勤めた職場で好子と出会い、昭和二十八年十一月十九日に結婚しました。その後、晶男、秀子と二人の子供にも恵まれました。今では、晶男と恭子夫婦の間に生まれた純果と浩実という二人の孫の成長を何より楽しみにしています。
子供の頃過ごした日々のことは、今でも時々思い出すことがあります。今の世の中とは随分と違うので、若い人達には想像することもできないでしょうが、孫達にも昔の暮らしがどうだったのか、どういう思いで子供達が暮らしていたのか、少しでも伝えられたらと思い、いくつかの思い出を書き留めてきました。
このたび、それらを一冊の本にまとめることができました。一人の人間のごくありふれた生活の中での出来事ですが、昭和初期の地方の農村の少年の思いを感じていただければと思います。
平成二十年春