2つの動機からこの書を書いた。
1つは日本の文化や宗教について
知識を得たいイタリア人への回答であり、
1つは私の伝道活動のもっとも重要な局面を
読者と分かち合いたいからである。
本のタイトルは、
日本の古典劇、能の作者である禅僧世阿弥の著書
「九位」の一文「夜半、日頭 明らかなり」から採用した。
神劇ともいうべき能は、
神道と仏教の聖所で演じられてきた
神聖舞踏に起源を持っている。
「夜半、日頭 明らかなり」は禅の瞑想と修行を続けて、
極めた、悟りの境地に至るシンボルでもあり、
非キリスト教徒にとっては福音の言葉のようなものだ。
真の神を志向する有益な知の一歩で、
福音を準備するものといえようか。
このような悟りの概念は聖書にも散見される。
イザヤ書にいわく「太陽はもう沈まない、
なぜなら父が永遠の光になられるから。」
ヨハネの福音書では「私は世の光であり、
真夜中に歩けぬものも私についてくるがいい。
命の光を得るだろう。」黙示録は端的にこう言う。
「もはや夜はなく汝は灯りも必要としない。
父があまねく照らし限りなく世を統べることになるから。」
キリスト教では重要な宗教行事は真夜中に行われる。
イエス様の降誕、イースター祭、
いずれの機会でも早朝の祈祷は真夜中に始まる。
聖母は「明けの明星」と言われるし、
仏典によれば、ブッダは早朝の星の光を感得する中で悟ったとある。
(以下略)