両親・祖父のこと
父は裕福な家庭に生まれ、子どものころに兄が他界し、
残るただ一人の末っ子の男の子だったので、非常に大事に育てられた。
箸より重い物を持ったことがないという例え話どおりに育てられ、
わがままでひよわな人間になってしまった。
自分の代になった父は、労働に耐えきれず、
一つの仕事に長続きすることができなかった。
ちょっと苦しかったらすぐに辞めてしまい、
生活に追われては、仕方なく次の仕事に就くが、
また辞めるという生活の連続である。
父は無力な自分に攻められ、
「俺はもう子どもは絶対過保護には育てないぞ」と、
心の底で苦しげに泣き叫んでいた。
生活に追われて真剣に仕事と取り組むのだが、
身体のあちこちが痛みだしたりして、仕事について行けない。
生活苦に、やけを起こし大酒を飲んで、クダをまいていた。
母は元来静かな優しい女性だったが、
私が生まれたころは、
三人の兄たちがあまりにもきかんぼうだったので、
それをしつける立場からたくましくなり、
子どもをどなりつけることが多くなった。
近所の人たちから「嫁さんもこのごろは
大きな声が出るようになったね」などと噂されたと言う。
祖父は明治元年の生まれで、非常に厳格でもあったが、
根は優しい人柄だった。
植木の手入れやお茶の道が好きで、堅物の人間だった。
祖父の代は田や畑を広く持ち農業を営んでいた。
お酒を飲まないこんな祖父が、
父のことを「辰次は酒を飲むのではなく、
酒に飲まれているからだめだ」と注意していた。