アメリカン・コーヒー
朝五時半、けたたましい時計の音で目覚めた。
いつものようにコーヒーを淹れる。
日本から持参した粉をサイフォンに入れ、
目いっぱい一リットルほどのアメリカン・コーヒーを作る。
それをマグカップに注ぎ、少しずつ啜りながら朝食を準備する。
平成十六(二〇〇四)年一月十二日。
台中の空は青く澄みわたっていた。
冬とはいえ春のような暖かさだった。
台湾支社はマンションの最上階で、国民中学校の校庭を見下ろす位置にある。
三々五々、子どもたちが校門をくぐってくる。
この時間に登校してくるのは部活の生徒たちだろう。
平穏で静かないつもの光景だ。
十年間勤めた会社に見切りをつけ、独立したのが厄年の四十二歳。
三年後には台湾と中国に支社を構えた。
だから月に一度は台中に通わねばならない。
六時をちょっと過ぎたころ、王君が出社してきた。
つまり私は、台中に滞在中はオフィスに寝泊りしているというわけだ。
この日二人は、台湾北部の首都である台北市に出掛けることになっていた。
荷物は前の晩に準備し、約十社のアポイントメントもとってあった。
バスは定刻をわずかに遅れ、七時半過ぎに出発した。
台中港路を西に走り、台中インターチェンジから高速道路一号線に入った。
乗客はほぼ満席。
約二時間走行し、渋滞に捉まってバスは急停車した。
そのショックで私は目覚めたが、
バスは高速道路上にあり、場所は新竹あたりと思われた。
毎朝コーヒーを五、六杯は飲む私は、この辺りでトイレに立つ習慣であった。
そしてまったく思いがけない大事故に遭遇した。
ほんの一瞬の事故で、私の人生は、どんでん返しを喰らってしまった。
(以下略)