朝立 浜の地名など
朝立の浜にはいろいろな地名があります。
今ではあまりいわれなくなりました。
垣生との境からいいますと、出っ張った崎を竜ヶ崎といいます。
以前、「真砂」という大きな料亭があり、「真砂」といっていました。
ひところ「パイオニア」という工場があり、
「パイオニア」といわれる時期もありました。
あの山の稜線が垣生との境で、ずっと上に行くあたりは、西の畝といいます。
その稜線の上に権現さまといわれる小さな祠がありまして、
そのあたりはよくマツタケが生えました。
そこから浜側に、ほんとうに小さく入りこんだところがあります。
二本の松の木があり、「二本松」といいます。
しかも「二本松屋」という小さな食堂があり、
暑い夏など「かき氷」を食べていた人がおりました。
その東側に、今はふさがれていますが、海食洞があり、
「穴の口」といわれるのは、この穴に由来します。
昔、菅庄屋へ入った泥棒が隠れたといわれます。
その横に瓦屋がありますが、古い絵地図にも描かれていますから、
相当古いものだと思われます。その東側には広い畑が何段かあります。
昔は菅庄屋がありました。明治四十二年(一九〇九)火災で、
主な部分は焼けましたが、長屋門は残っていました。
相当大きな門構えでしたが、昭和十八年(一九四三)の大水害で流されました。
この水害は、南予各地に大きな被害をもたらしました。
その水害の様子は、写真に残されています。
「菅の裏(浦とも)」という地名は、菅庄屋の裏側ということに由来しています。
(以下略)