はじめに
私が生まれ育ったのは、愛媛県の三瓶町朝立です。
師範学校へいっていた時と仕事の関係で十六年間離れましたが、
それ以外はずっとこの朝立で過ごしています。
その間、社会は大きく変化してしまいました。
昭和二十年(一九四五)終戦。新しい時代が始まりましたが、
大きな時代の変化の中で、古きものがたくさん忘れ去られようとしています。
このところ夜散歩して、埋立地の船つなぎでよく一休みします。
ふと周りを見まわすと、海、山……昔と同じ風景があります。
すぐ前に仲村医院がありますが、もともと朝屋の屋敷でした。
私が小さい頃、朝屋は破産して、家はしばらく荒れたままになっていました。
家の中へは入りませんでしたが、庭へ入ったことがあります。
大きく広い家でした。
五十二銀行(後に伊予合同銀行、さらに伊予銀行になった)もありました。
銀行の裏には二棟の倉庫が東西方向にありました。
当時は荷物を運ぶのは船が主でしたので、
食料、肥料などたくさん荷揚げされ、その倉庫に運ばれていました。
時には子牛も運ばれていました。
今の三瓶病院の東側に牛市場があったからです。
このような昔の情景が次々思い出されます。
秋祭りなどの年中行事や、昔の暮らしなど、
昔の人のことなどもよく思い出します。
これらを書き残したいと思っていたのですが、なかなかできませんでした。
昭和六十三年(一九八八)長男の匡がワープロをプレゼントしてくれました。
それでワープロを使うことにして、思いつくまま書き始めました。
私が見たこと、思い出したことなど独断と偏見で書いていきました。
さらに平成十年(一九九八)頃パソコンを使うようになり、
それまでに書いたものを整理してみました。
記憶違い、不十分な内容もあるかと思いますが、
我がふるさと「朝立」の昔を知る手がかりになれば幸いです。