あとがき
ある時、弟が我が家に泊まり、久々にゆっくり話をした。
弟は、夫婦で旅したタイのことを話してくれた。
チェンマイの高級ホテルに泊まって楽しく過ごしたが、
ホテルから一歩外に出ると、貧しい人々がたくさんいて、
思わず目を覆いたくなる場面に遭遇したそうである。
人は、生まれる場所、時を選ぶことができないということを痛切に感じたという。
また、自分の生きる環境を容易には変えられないことも改めて考えさせられたともいう。
そして、自分の人生について、苦しいことが多かったと思ってきたが、
十分ラッキーだったのだと思って感謝の思いが湧いたそうだ。
当時の弟の関心事は、「時と存在」というテーマのようだった。
なにやら哲学的で難しそうだ。
そういえば弟は、私と違って幼い頃からよく本を読み、哲学的なところがあった。
そんな弟と話しながら、私も「時」の不思議さを考えていた。
私がこうして文章を書いていると、過ぎた時間を振り返り、
その時間を生きていた父母のことや自分のことを思い出し、「時」について深く考えてしまう。
時とはいったい何であるのか。時の中を我々人間はどうやって生きていくのか、
現在存在している我々はいなくなってどこへいくのか、
存在の意味は何なのか……。考えれば考えるほど、迷路に入っていくようである。
刻々と流れる時の中を、多くの人は酔生夢死のごとく一生を終えてしまう。
私自身、そういう時期があった。そんな状態で生きているといえるのか、
今一度自分の来し方に疑問を呈して考えてみたいと思った。
(以下略)