恵信養護老人ホームにて
「おばあちゃん、調子はどう?眠れる?」
「調子はいいわよ。よく眠れてよく食べられるわよ。
あなたには迷惑かけてない?」
「だいじょうぶ。心配いらないよ」
数年前、母と私との会話はいつもこのようにして始まった。
平成二十二年三月二十九日、母は九十六歳でこの世を去った。
九十二歳の夏に突然高熱を出して救急車で入院し、
一時意識が混沌とする状況にあったのだが、
その後養護老人ホームにお世話になり年々回復していった。
同居していた私たち家族の顔がわかり、会話ができるまでになった。
ホームを訪れる家族と穏やかに過ごして旅立っていったことは、
本当によかったのではないかと思っている。「大往生」ともいうべき最期だった。
私は今でも、冒頭の会話から始まるひとときをよく思い出す。
時間がゆっくりと流れているようだった。
私の仕事がうまくいっているかと案じ、
孫の名前もちゃんと覚えていて元気かと問い、
「だいじょうぶだよ」と答えるとにっこりと笑う。
さらに、決まってこんなやり取りがあった。
「私は何歳になったの?」
「九十五歳だよ」
「ええっ、私はまだ六十歳くらいかと思っているよ」
ここで、私はいつも返答に窮するのだった。母はまた
「一日一日が早く過ぎてしまって、時間は止まってくれないのかしらねえ」
ともいった。
(以下略)