あとがき
一九八二年、ソ連の最高指導者ブレジネフが死んだ。
新聞の第一面で報じられた記事を読んで、僅かに胸がときめいたのを覚えている。
ときめきはほんの一瞬だったが、
何かが──世界を揺るがす何かが起こるのではないか、
という不安と期待が入り交じったものだった。
学生時代、革命を信じて活動をしていた友人がひとりだけいた。
といっても、彼がどんな活動をしていたのかほとんど知らないが、
一度だけその活動を眼にしたことがある。
校門の前で松明を持った十数人のグループが整列し、
過去に仲間のひとりを別のグループによって
殺されたことに対する抗議の声を上げる活動だった。
道を挟んでヘルメットを被った青年がたったひとりで、
拡声器を片手にガーガーと松明グループに叫んでいた。
友人は松明の明かりにほんの少し照らされて生き生きとして見えた。
多くの学生たちは政治や革命に全く関心を持たなかったし、
そのための活動を見ても何の反応も示さなかった。
そんなものは過去の遺物でしかなかった。
我々は、後に〈しらけ世代〉と呼ばれるようになる。
そんな自分が大学卒業後一年半を経て、
ブレジネフの死亡記事に僅かながらも胸をときめかせたのは、
だから決して政治的な理由ではなく、全く個人的な事情からだった。
(以下略)