1(九月八日) 私の生いたち
今日は九月八日、私の誕生日。
一九二九年、昭和四年に出生。
一九二九年といえば、世界歴史にも載る世界大恐慌の年。
私は東京の北の方、滝の川で生まれた生粋の江戸っ子。
父は遊び人、母は芸者。私に幸雄と名づけ、勤め人になったとか。
私が住んだ記憶があるのは、上野広小路。
カフェというか、バーのような白蛾といわれる店の二階。
女給さんたちと同居だった。遊び場は松坂屋デパート、不忍池。
父は小さな無尽会社、今の銀行の前身。
松坂屋の前の停留所に間に合わないと、
交差点を過ぎた扉のないチンチン電車に飛び乗って、
浅草の方へ出かけていった。
息子の私を可愛がった父は、
上野の山の寛永寺幼稚園に女中をつけて通わせてくれた。
そこでは、サトーハチローの息子や、
お山の麓の永藤パン店の息子などが同級生だった。
松坂屋の向かいの風月堂の前からバスでお山に登った気がする。
やさしい女の園長先生で、玄関に広間があって、
足でこぐグルグル廻る遊具があって、男の子たちは元気にこぎ廻った。
不忍池にはハスが一杯あって、春、花が咲く明け方には、
「ポン」と音がするといわれる花の開花をめざして、大勢の人が集まった。
(以下略)