父と母のこと
母は一九二九年(昭和四年)七月に東京の深川で生まれた。
父有三は岩城硝子の研究員で、妻礼子との間に二男三女がいた。
母は五人兄弟の真ん中で、兄弟姉妹が一人ずついた。
家族は間もなく世田谷の奥沢に移り、母は結婚までをその家で過ごした。
父と結婚してからは参宮橋、新宿の戸山町、千駄ヶ谷と移り住んで
最後には父の実家の世田谷代田に戻ってきたのだから、
結局生涯のほとんどを東京の山の手で暮らしたことになる。
その母が唯一田舎暮らしを体験したのは戦時中の数年間、
父(有三)の実家のある岐阜県の郡上八幡に
弟妹を伴って疎開していた時で、母が十五六の女学生の時代である。
この疎開体験は母に強烈な印象を与えたようで、
後にその頃の思い出をよく私たち子供に語った。
(以下略)