あとがき
生きているということが、辛い時期がありました。
朝、目覚めてから、夜、寝付くまで、いや眠っている間でさえ、
精神的、身体的苦痛に苛まれ、その苦痛から逃れたい一心でした。
苦痛は尋常ではありません。死ねば楽になる、
ミイラのような体で天井を見詰めながら、
苦痛から逃れることばかりを請い願っていました。
事故に遭ったのは平成十六年一月十二日、出張中の台湾でした。
脊髄損傷の中でも重篤とされる頚髄損傷です。
脊髄の首の部分を傷つけ、四肢麻痺となったのです。
事故当日まで自分の足で歩き、自分の手で物を持っていたのが、
この日以降、まるで他人の手足のようになったのですから、
その現実をどのように受け入れればよいのか、気も狂わんばかりの日々でした。
三年以上続いたでしょうか。
「プロローグ」にも記したように、思い出すことといったら、
三十年にわたって歩いてきた世界の人々との交流や、恥ずかしい失敗談ばかりです。
たまに体調のいい日があると、
介護で訪問してくださる方々に聞いてもらうこともありました。
「その話面白い。本にしてみたら」
と勧めてくれたのは薗部さんという方でした。
幸いにして、手足が利かなくとも声で文章をつづる方法を、
神奈川リハビリテーション病院で訓練していました。
科学技術の進歩ってすごいですね。声で文章が書けるんですからね。
私にとって文芸作品は初めての試みでした。
体調の悪いときでも自らに鞭打つようにコンピューターに向き合ってきました。
作業を進めるなかで思わぬ発見もあります。
文を書いている間は、精神的、身体的苦痛からはすっかり開放されていたのです。
これは大きな発見でした。何かに夢中になること、
つまり人生に目標を設けることが、苦痛から逃れる最良の方法だったのです。
(以下略)