初めての海外旅行
大学紛争も不完全燃焼に終わり、
濡れた焼けボックイがプスプスと音を立ててくすぶっていた。
世は平穏を取り戻し、再び繁栄に向け誰もが邁進していた。
こんな日常を苦々しく噛みしめながらも、何するともなく過ごしていた。
まともな就職口とてなかった。
コネを頼りに映画産業に潜り込もうと根回しはしていたが、
目指した映画会社も倒産した。
当時、私とカアチャンは京都に住んでいて、
着物地の絵付けをしていた彼女の収入で生活していた。いわばヒモである。
こんな生活をいつまでも続けるわけにはいかない、との思いが募っていたが、
ある時、単身東京に戻って椎名町のしもた屋風安アパートにころがりこんだ。
職はすぐに見つかったが、写真家の助手。給料六千円。
こんなもんで二人暮らせるはずもないが、ここを足場にまた探せばいいや、
と若いがゆえの極楽トンボであった。
助手生活は一年続いたが、仕事の内容よりも精神的に参ってしまった。
アシスタントと言えば聞こえはいいが、実情は徒弟制度の極みで、
なんで大学まで行って、
こんな使い走りのようなことばかりせなあかんのや、と馴染めなかった。
同期だった増田が同じころ上京し、
錦糸町のアパートで寝泊まりしながらCMプロダクションに通っていたが、
二人して呑み屋にたむろし己れの不遇をかこっていたものだ。
そんなある日、突然カアチャンが東京に乗り込んで来た。
それはまさに、乗り込んで来たと言う表現がぴったりの登場であった。
酔いつぶれて早朝アパートに戻ってくると、
三畳一間の万年床にカアチャンが鎮座ましましていたのである。
直後の修羅場については書くに忍びないので割愛する。
いったん京都に戻り、荷物をまとめて本格的に東京に引っ越すことになった。
荷物なんてほとんどないと思っていたのに、それでもトラック一杯の量になった。
(以下略)