プロローグ
天から降ってきた紙切れを拾ったら当たり籤だったというような偶然で、
ヨーロッパ往復の無料航空券を手に入れた。
神の思し召しであったか悪魔のイタズラであったか。
これが契機となって、三十五年間も海外を渡り歩く人生となったのだが、
ほんとうに幸運だったのか不運だったのか。
大学の解体によって居場所を見失なった私は、
そのころ自分の進むべき道を模索する日々であった。
最初の海外旅行の後、中小の出版社や地方新聞社を転々とした。
四十三歳の時。男が独立開業するには少々遅いとも言われたものだが、
自転車の専門誌を発行する会社を立ち上げた。
日本語のほか英字紙、中文誌を発行することになった。
平成三(一九九一)年二月のことであった。
古いパスポートを引っぱり出し出入国記録を数えてみたこともあったが、
途中で放棄した。あまりに多すぎて数え切れない。
これだけ頻繁に飛行機を利用していると、
いつかは事故に遭遇するなと危惧してはいた。
平成十六(二〇〇四)年一月。
台湾でのバス事故というなんとも締まらない結末が待っていた。
首の骨を折り脊髄損傷と診断された。
最重度障害の四肢麻痺。手足はぴくりとも動かない。
行動的な性格であるのに、もう八年間もベッドで寝たきりの生活である。
飛行機事故であればひとおもいに死ねた。
荒んだ心を引きずりながら、生き続けるということがいかに辛いことか。
記憶が残ったのが救いでもあった。思い出と空想が世界を走る。
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」(芭蕉)
この一句が今の私の心情をすべて言い尽くしてくれる。
三十五年にわたった世界ドサ回りの人生を振り返ったのがこの文章だ。