「川柳をまとめたら」と息子に言われてから、三十年も過ぎてしまった。今頃になってやっと、その気になった自分が恥ずかしい。
夢中になって作った当時が思い出される。つい先だっての事のように思える。月日の経つのは早いものである。
息子達が受験勉強する夜中を私の時間として、深夜まで句を作った。あの頃は夜中でも平気で投函に歩いたものだった。
新聞紙上で競い合うのも楽しいものだった。一釜先生から誉められると、嬉しいやら恥ずかしいやらでまた作る。当時、私の生きがいだったことは間違いない。
兄の進めで小樽川柳「こな雪」に入った。
一年程して「草笛賞」を頂き、道大会や地方の大会でトロフィをもらい家に持ち帰る。そんな楽しみが続いたが、柳社から選者の仕事が続き出すと、外の方の句の上手なこと、自分がいかに無力かを知らされて、句を作るのが重くなってしまい自分で引っ込んでしまった。
夫の転勤で釧路に移り引っ込んでいたが、釧路川柳社からのお誘いで「川柳くしろ」に入った。当時の田中良積さんは今も紙上で活躍中である。釧路六年の旅も終わり岩見沢に来てからは、老人川柳として自分一人の句集作りである。最近の句も少し載せてみた。
遺句集にならずに良かったと思い、自分と一緒に生きて来た川柳は、自分史のつもりで、駄作をまとめ息子に委ねた。
父、兄も、短歌や川柳を作っていた。
感傷の胸に落葉が突き当り 氏家牧童(父)
奪い合う二人に狭し父の膝 氏家和夫(兄)
「田中五呂八選」とあるから昭和ひとけたの作品だが、少しも古く感じないのである。
父は五十一才で他界、いつも川柳を作っていた。兄は米寿の今も元気に絵、川柳を続けている。健康のためと言うが、なかなか出来るものではない。これからは、私も兄のように生きたいと思う。
この度、古い句集を読んで下さいました皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。
平成19年12月2日 小寺美智子