一、イタリアの旅へ
ミラノ空港
ご存知、長靴の形をしたイタリアは、日本の8割弱の大きさの国土に、約半分の5千8百万人が住んでいる。
首都ローマから北と、それより南の地区は、歴史・文化・気候風土・経済格差等により非常に仲が悪く、北イタリア・トスカーナの人達は、ローマの南はアフリカとまで言っている。
今回は、そのアフリカ? を避け、ミラノ・ヴェネチア・フィレンツェ・ローマを中心に、なんと合わせて17都市を一気に回り、数あるイタリアの「世界遺産」と「ルネッサンス芸術」に接してこようという欲張った内容の旅となった。
風薫る五月半ば、ミュンヘン経由のルフトハンザ機は約15時間後、通貨が既に「リラ」から「ユーロ」にかわっているミラノに無事到着。さすが日が長く、夜9時近くまでは明るい。
「ミラノ向け ミライを開く 旅に出る」
一体どんな未来が待っているのか、不安。
早速イタリア語でご挨拶を、チャオ!
「ミナノもの ミラノ着いたぞ ボンジョルノ(こんにちは!)」
二、ミラノ
世界遺産・ミラノ「ドゥオモ」
暑い。長袖のシャツは汗ビッショリ。なんと30度近いという。
3日前までは雨ばかりで、交通網にも影響があったとは信じられないほどの快晴猛暑。
イタリア・ゴシック建築の最高傑作「ドゥオモ=大聖堂」へ。一度に4万人が礼拝することも出来るとはすごい。5ユーロ払ってエレベーターで屋上へ。
135本の尖塔と2千もの聖者像に囲まれた中央に、4メートルもの黄金のマリア像が立つ。まことに華麗の一語。ミラノの町を上からゆっくりと眺める。
「ドゥオモや ドオモドオモと みんな言い」
いよいよミラノの世界遺産、レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のある教会「サンタ・マリア・デレ・グラツィエ」へ。
修復も終わった絵は、ドミニコ会修道院の食堂の壁にあり、予約制で25人ずつ順番に自動ドアから入るようになっている。15分間の鑑賞時間に制限されているが充分堪能できた。少し下がって見たときにまるで絵の後ろにもう一つ部屋があるような奥行きを感じさせる遠近感。裏切り者ユダの目立たせ方。全体の広がりとキリストへの集中度。予想以上に感動した。残念ながら写真はダメ。
説明によると、ダヴィンチの自画像を入れたり、背景の風景がイスラエルではなく北イタリアになっているため、宗教心にはやや欠けるところがあるそうだが、そんなことは、素晴しさになんの関係もない。これだけで、ミラノへ来た甲斐があった。スカラ座他は、外から見るだけで終わったが。
「ダヴィンチの 最後の晩餐 立ち尽くす 立ち去り難き 奥の深さよ」
「キリストを 裏切るユダの その右手 銀貨30 ユダンもならず」
三、ベルガモ
「最後の晩餐」の絵葉書
50キロ離れた「ベルガモ」へ。イタリアの高速道路も有料だが、日本では、ようやく始まりまだまだ普及していないETC「テレパス」の先進国。料金所もすいすい通過。ところで、走っているバスの殆どはベンツかボルボ、車保有率世界有数を誇る国イタリアなのに外国のバスばかりとは?
石畳の美しい旧市街、チッタアルタは標高350メートルの丘の上にある。そこにある12世紀のロマネスク様式の「サンタ・マリア・マジョーレ教会」「ヴェッキア広場」を見学途中、可愛らしい幼稚園生のグループに出会い、早速カメラを向け何枚か撮る。見ていた女の先生が走り寄ってきて、撮れたら写真を送って欲しいと頼まれる。勿論送りますと答え住所を書いてもらい、帰国後何枚か宛先のキンダーガーテンに送る。
「ベルガモや 今日はテルカモ 晴れルカモ」