第1章 丁字戦法は誰が考案したのか
第1項 丁字戦法の考案者に関する議論
丁字戦法は誰が考案し、どのような経過で日本海軍の戦法として採用されたのであろうか。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は秋山真之の独創だとするが、司馬の小説には登場人物や事件を際立たせるための創作がふんだんに盛り込まれており、小説で得た知識を史実だと思いこむことは禁物である。丁字戦法の考案者と採用経過については、今日でも研究者の間に様々な見解があって、結論は出ていない。まず、各論者の見解を以下に概観する。
【秋山組み立て説】
丁字戦法はそれ以前からあった考えを秋山真之が戦法として組み立てたものである、とするのが、篠原宏、島田謹二、吉田惠吾、戸高一成である。
篠原の論旨は次のとおりである。―明治海軍の創設期に、お雇い外国人であるウィルランやイングルスによって欧米の海軍戦術の知識が日本に導入された。嶋村速雄は欧米の知識を海軍部内に紹介するとともに、実地演習を行い、艦隊の主要メンバーと議論しながら戦術の規定をまとめた。明治27年の黄海海戦は、イングルスの主張した単縦陣を採用したことなどにより勝利した。明治33年から山屋他人が海軍大学校で講義した円戦術は、日清戦争の黄海海戦を再検討する中から考案されたものである。同時期に嶋村の主導で日本海軍が単縦陣の八点正面変換を訓練していたことは、日露戦争で丁字戦法をとることを予測していたかのようである。秋山の丁字戦法は、わが国古来の水軍の書や、米海軍のTフォーメーション、英海軍から入った八点回頭、山屋の円戦法など従来からあったものを発展、理論づけたものと思われる。―
(以下略)