親 友
今から三十年ほど前のこと─
高崎亜依子と水本紀恵はともに、
F女子学院高校に在籍する二年生だった。
高校入学時からテニスクラブに籍を置いた二人は、
ともに運動神経が抜群で、部においては上級生を圧倒し、
自他ともに認める良きライバルとなっていた。
紀恵はテニスを母、綾の手ほどきで小学二年生にやり始め、
四年生からは専属のスクールに通っていた。
一方、亜依子は、小学三年生の夏休み時に、
近くの公園で社会人のテニスクラブの練習を見てその虜になった。
朝早くから夕方近くまでの練習を飽きることなく眺めている亜依子に、
一日目は誰も声をかけなかった。
近くに住む少女が物珍しさに眺めているだけのことだろう、
と思っていたからである。
亜依子は二日目も現れた。
昼時になって姿が見えなくなったのは初日と同じだったが、
再度現れた時には、なにやら書いているのが、プレイをしている者にもわかった。
コーチの小平由佳里が何を描いているのかと尋ねると、
コートでのポジショニングやボールの返球場所、
それを捕球出来たか否かを簡単な図に表しているという。
返球によって有利になるのか不利になるのか、
稚拙な絵とはいえ、一打一打を丁寧に分析していることに驚いた。
その分析の方法は誰から教わったのかと訊いた。
一瞬、きょとんとした亜依子だったが、
自分が遊ぶバドミントンは取り易いように相手に羽根を返すが、
今見ているのは逆だと解ったので、
どういった状態の時に相手が取れないかが解れば勝てるのではと思って描いたと言った。
これには由佳里も舌を巻いてしまった。
智慧のある子だと思った。
テニスをやってみないか? と誘った。
一瞬躊躇した少女の心を読んだコーチは、
ラケットを買う心配などいらないと言って、
初心者用の軽いラケットを貸し与えた。
その日はフォアハンドの基本姿勢を教えた。
もっと覚えたいのであれば教えてあげると言ったところ、
満面の笑みを浮かべて頭を下げた少女は、
それから毎朝決まった時間にテニスコートに顔を出した。
明るく朗らかで愛らしい笑顔の亜依子は、
その日から皆のマスコットになった。
六日目は雨だった。
予報では午後から崩れるとのことだったが、早朝から雨足が強かった。
窓ガラスをたたく音に、
今日はゆっくりと寝ていられると思って寝入った由佳里だった。
スケジュール調整をしなければと、
遅めの朝食を取っていたときにふと思い出し、慌てて車に飛び乗った。
もしやと思いコートに急いで行って見ると、
小さな傘が閉ざされた入り口で風雨にさらされていた。
亜依子だった。
約束を守ろうとする純粋な心に由佳里の胸は締め付けられた。
雨脚は弱くなってきていたが、
今日は練習にならないので街の映画館で映画を見ようと誘ったところ、
昼食時には戻らなければと亜依子は固辞した。
何か訳があるなと感じたが、それ以上は訊かずに別れた。
夏休みが終わっても二人の仲は続いた。
亜依子は由佳里を慕い、由佳里は亜依子を年の離れた妹のように可愛がった。
テニスの指導もそうだったが、勉強も教えた。
それは中学卒業まで続けられた。
特に英語は、発声から丁寧に教えてあげたので、
亜依子は発音記号を見ずとも、知らない単語を発音出来るようになっていた。
その甲斐あって、亜依子の中学生活後半ではテニスでは
男子生徒でも勝てる者がいなくなっていたし、
学業の成績は常にトップクラスだった。
高校進学となるときに、既に彼女の生活基盤を知っていた由佳里によって、
私立の女子高を、特待生待遇による授業料免除で入学した。
紀恵も同じ待遇による入学だった。
二人が入った年のテニス部への新入生は二十名弱だった。
ほとんどが中学生からテニスクラブに所属していたが、
誰一人として二人の敵ではなかった。先輩であってもレベルが違っていた。
クラブの顧問は、当初から模範と称して二人を対戦させた。
紀恵、亜依子、どちらも優劣が付け難かったが、
サーブでは紀恵が、レシーブでは亜依子が相手を上回っていた。
お互いに入部時点からライバルと認め合う仲だった。
(以下略)