昭和三十三年、私は伯母夫婦の養女になった。
父とは血のつながらない親子であったが、
なぜか気が合い、私は父が大好きであった。
父は教師で、家にはいろいろな人が訪れ、
よく酒を飲み交わしていた。
側にいた私は、よく戦争の話を聞かされた。
上司が厳しかったこと、弾が自分の体を貫いたことなど様々であったが、
父からはそうした話はなく、父は、ただ黙って聞いているだけであった。
ある日、私は父に「お父さんは何処で戦っていたの。」と尋ねたことがある。
父は、南方ビルマあたりで戦っていたことは話してくれたが、
「お父さんは、逃げ回っていただけだ。」ぐらいで、
詳しい話はしてくれなかった。
私は、その後、あまり追及することなくいた。
学校で、歴史を学ぶうちに、父が戦ったビルマ戦線が激戦区であり、
父は戦地の飛行場で任務についていたらしいことを知った。
年齢を重ねるうちに、戦争を忘れてはならない、
風化してはならない、という気持ちは強くあったが、
戦争を知らない私にとって、
ただ言葉だけで言っても真実味もなく、むないしいものであった。
子供たちにも、「じいちゃんは、戦争で戦って来たんだよ。
現在の平和で豊かな日本があるのは、じいちゃんたちのお蔭だよ」
ぐらいにしか伝える事はできなかった。
平成十八年三月、父は八十八歳でその生涯を閉じた。
遺品の整理をしていた時、父が書いた「従軍記」を見つけた。
この記は父が退職後、戦争での記憶や記録を元にまとめたものであるらしい。
行軍の経路など地図に細かく記されている。
戦争に関しては寡黙だった父であるが、従軍記をまとめることで、
何かを伝えたかったのではないかと感じた。
戦地でどのような戦いがあったかは詳しく記されていないが、
この当時の青年がどのような気持ちで戦いに赴き、
そして帰国したのかが、切々と伝わってくる。
(以下略)