まえがき
現在社会に生きている我々の時代は、技術革新が当たり前の様に日々進化し、
完成されたと思える世界の中で、多彩な玉石混合の情報が、
目まぐるしく飛び交う情報社会を構築している。
膨大な知識の洪水の中で、見聞きする古典的伝承等も刻々と変化しており、
新たな発想が現れる度に、整合性が無くなる事態も多々在った。
其れは歴史的な人物や出来事の評価、価値観、真実も時代によって変化し、
歴史的に確定して史実とされていた事柄も訂正され、評価が変わる事態も起きていた。
人類が存在した長い歳月の間に、形成された社会の根本的な諸問題でも、
何処で、誰によって何時頃から語られ、どの様な過程を経て発展したのか、
内容も明らかでない事実も存在していた。
言い古された事だが、真実は小説より奇なりと云う通り、
古代史を紐解くと多くの驚きに巡り会った。
そして今、日本人には古代民族のバイブルと云える
古事記と関係が在ると云えた縄文人の繋がりから、古代史を見つめ直すと、
世界中の多くの民族が残した神話や物語、
伝承等が複雑に絡み合うジクソー・パズルの様に、
世界の不思議な状況が当て嵌められて行き、総ての謎が溶けていく感覚に囚われた。
人類文明の発現とは、未確定な疑問符の上に描かれていた砂上の楼閣の様に、
一度、批判の波に襲われると、
簡単に跡形も無く消え去る蜃気楼の様な存在だった事に気付かされた。
人類の誕生からは400万年程経ち、
其の間には無限に存在していた様々な民族集団が、
定住生活を始める過程を辿っていたと云えるが、此まで成功しなかった経験を、
初めて縄文人達が達成出来た事実は、将に奇跡だった。
(以下略)