はじめに
この日記は、昭和十八年四月二日から
昭和二十年二月十五日までの一年十ヵ月にわたり、
書き続けられたもので、太平洋戦争の真っ只中、筆者の心情、思索が、
飾ることなく、ありのまゝ、素直に表現され、
B5版のノート五冊にびっしりと書き込まれている。
この日記の原本は、四百字詰原稿用紙にして、
六百四十枚に及ぶ膨大なもので、これを書き続けた原動力になったものは何か、
それは、この日記の昭和十八年五月八日の文章の中の次の文で表現されている。
「『人生を識らないうちに死ぬ』のではないかという不安がある。
後世に残る何事かを完成しない、こゝ迄言わなくても、
小さい時から育てゝくれた父母に恩返しもしないで
死ぬのではないかという不安が去らない。
この日記、又この頃本を読んでいるのも、
戦死して何も残らないのが残念だという気持が強く働いているのだろう。」
大戦下にあって、日本が極限状態に追い込まれつゝあった
時代背景と食糧始めあらゆる物資の不足という厳しい社会情勢の中で、
当時の若者は、常に、「徴兵」「戦場」「死」という
暗雲が頭上にあることを常に意識せざるを得ない状況下にあった。
その中で、彼の生き方は、常に前向きであり、真摯であった。
(以下略)