はじめに
京都造形芸術大学通信教育部のレポート作成で
弱音を吐き出した私を励ましてくれたのが
主人の甥植田洋nさんの妻朋子さんです。
朋子さんから『十津川物語』を活字にしてはというお話があり、
私は何が何だかさっぱりわからず、
これは自分史になると気づいたのは、ずっと後のことです。
私1人では考えもしないし、
実際に行動に移すことなど出来ないことですが、
一年以上かかって冊子にまとめる運びになりました。
昔のことを親類に伝えるのもよいかと、
下手を知りつつ文章を書きました。
朋子さんは人を育てたり、はげますことが抜群の才能のある人です。
学制改革以前の教育を受けた私は、
大学教育について知りたいのと、湯河原ゆうゆうの里に入居以来、
未知の世界であった陶芸を学んできましたが、
釉薬と上絵の具のことが修得できず、
京都造形芸術大学通信教育部の学生になりました。
(以下略)