私は葬儀を無事終えたことの安堵感と、無事に送り出せたことに、ある種の達成感を感じていました。
この二年間の闘病生活の中、入院日数は二百九十八日にも及び、最後は五十四日間も入院していた為、喪失感なるものはなく、まだ入院しているかのような感覚でした。
しかし、諸々の手続きをしているうちに、否が応でも現実をつきつけられました。
ある日の手帳にこう記されています。
(区役所国保課へ、その後社会保険事務所へ。ひとつひとつ手続きを終えるにつれ、吉田房子という一個人が、社会から忘れさられ、そして消えてゆく。その手続きは夫である自分がしている。さみしくて、悲しくて、つらい作業である・・・)
そして、神田明神、深川不動尊、江戸川不動尊唐泉寺へお礼を納めに行きました。何度も房子と訪れたところでしたが、今は私ひとりです・・・。
『一粒の種』という歌詞の中に、
―心配ばかりかけてごめんね・・・
淋しい思いさせてごめんね・・・
というフレーズがあり、これを聞いた時、彼女も言ってくれるだろうか・・・と思ったら泣けてきました。
そして不思議なことに実際に種を植えて逝ったのでした。
一休の実家には、ふきのとうを、本所の家には、シクラメンを、我が家にはブルーベリーを・・・どんなメッセージが込められているのでしょうか・・・。
今、義母はそのふきのとうを食し、私の母はシクラメンを眺めながら房子を偲び、私は、決して枯らさぬよう努めた結果、青々と葉が繁りブルーベリーがふたつ実っています。みなそれぞれに房子の意志を継ぎ、それぞれに想いをはせるのでした。
この手記を書き上げるにあたり、生前お世話になった方々また出版社の方々にお世話になりましたこと心からお礼申し上げます。
そして、奇しくも結婚十七回目の記念すべき日に、手記が完成するのでした。
平成二十一年六月十四日 日曜日
吉田 勲