自費出版の会なら10冊89800円から。編集のプロがしっかりサポートするので安心です。

自費出版
自費出版の会にお気軽にお電話ください。 自費出版の会の編集者が直接、あなたのご質問にお応えします。
自費出版の会 TEL.03-5919-3888 受付時間 10:00〜18:00 土日祝日は除く 自費出版に関するご相談・資料請求はこちらからお願いします。
刊行案内(一部抜粋)
お客様インタビュー
自費出版の会について
自費出版メニュー

刊行案内

書籍

日出づる国・日本へ (下)
我ら父祖たちの名誉に賭けて

著者/小澤政治
サイズ:B5判
製本:ソフトカバー
ページ数:212ページ(モノクロ)
発行日:2009年7月13日
価格:1,429円(+消費税)
ISBN:978-4-903935-18-8
ご好評につき、完売しました。
ご購入ご希望の方は
下記へ直接お申し込み下さい。
http://www.hiiduru.com/

戦争をした先祖の方々に“感謝”していますか?

本書の願い 我ら父祖たちの名誉を取り戻そう

平成21年、西暦で言えば21世紀の今日、世界はグローバル時代となった。世界の人々が、ビジネスで、社交で、また国家利益を賭けた外交でも、それを担う人々の個人(国家)と個人(国家)がぶつかりあっている。自分の生まれた、育った国をどれだけ誇ることができるか、名誉を守る気概があるかが重要である。その気概とはその人の持つ祖国への愛情、いわば愛国心とも繋がっているのである。しかしそのことにあまり気がつかないのが我ら現代の日本人であると言えようか。

愛国心とはその人の持っている常識が源となる。そしてその常識は、結局のその人の持つ歴史観と直結していよう。私達日本人は世界に稀に見る、永い、そして万世一系の天皇を持つという国柄である。我が日本のアイデンティティーとはまさにそこにあるのだ。しかし多くの国民は、その歴史を誇ることができなくなっているのではないだろうか。何故か? それは我が日本民族最後にして、人類史上未曾有の大東亜戦争において敗れたことに関係しているようだ。


戦争時代の先人・父祖たちと私たちは“同胞”なのだ!

あの戦争に負けたことは事実だ。しかしそのことを恥じることは何もない。大東亜戦争は我らの先人たちがその人生を賭けて死にもの狂いで戦い切ったものである。しかしこの戦争に敗れたゆえに、私たちの国、日本が、アメリカから、ロシア、中国、韓国、北朝鮮などから未だ、“世界の侵略国”、“戦争犯罪国”などと言われている。敗戦直後の東京裁判から、今日に至るまで、その東京裁判史観に由来していると思われる靖国神社問題、従軍慰安婦、歴史教科書、領土問題など、我が日本はヤラレッパナシでいる。

私達は今こそ我らの正統の近現代史、とりわけ昭和の大東亜戦争を中心とした戦争と、その時代に生きた我らの先人・父祖たちという歴史の縦軸に繋がる同胞と、同じ大和の民族、国民であることを十分認識して、この国に生まれたこと、生きていることを、すなわち祖国への誇り、自信を持つことが何よりも大事なのではないだろうか。


軍人・政治家に国民は騙されていた?

昭和20年8月、我が日本民族未曾有の苦闘であった、しかしなお果敢にその時代を生き抜いた先人たちの大東亜戦争の戦いは終わった。そして国家復興を誓って立ち上がろうとしていたその先人たちを前に、アメリカを中心とした占領国によって、苦楽どころか生死を共にした我らの先人たちを裁くという国際法上全くあり得ない東京裁判が始まった。その前後にアメリカ側から見た一方的な日本断罪の、「太平洋戦争史」を全国紙などに掲載させ、ラジオでは、「真相はかうだ」、「真相箱」などにより、我が国の大東亜戦争と、それに至るまでの我が国がかかわった事変、紛争などやアジア・太平洋諸島の統治、駐留までをも我が国の軍首脳、政府指導者たちの“共同謀議による侵略であるという有罪”とした。日本政府や軍部の主導者が悪かったのであり、国民や将兵は“騙されていた”のだとアメリカは言った。大東亜戦争に見せた我が父祖たちのあまりの闘志と、その民族の精神性の気高さを畏れたアメリカは、我が国が二度と立ちあがってアメリカに戦争を仕掛けない国民にしようとしたのである。それが現在の日本国憲法の精神の核となっている。歴史上初めての体験となった敗戦で被占領国となった我が日本には反論の自由はなかった。いやそれ以上にこれらポツダム宣言の公然たる無視という非道を受け入れたその原因の一つには、我ら日本民族の潔さでもある、“敗軍の将、兵を語らず”とした国民性もあったとも言えるだろう。

しばらくもせずして、「日本人は変貌した。すべての責任を戦いに斃れた人たちにかぶせはじめたのである」(神坂次郎「今日われ生きてあり」新潮文庫参照)。やがて米占領軍を“解放軍”と呼び、受け入れた人々もいた・・・。

あれから60有余年、今日においてもほとんどのマスコミや一部とは決して言えない知識人たちは、「日本がアジアを侵略し、諸国民に迷惑をかけた。世界の平和を乱したのだ。謝罪をもっと明確にすべきだ」などと言い募っている。


我が国政府の“謝罪”

さらにあろうことか、私たち日本の近年の歴代政府が、大東亜戦争時の私たちの先人、父祖たちの命がけの戦争とその歴史を“謝罪”という形で、世界に、アジアに伝えている。その代表的なものが、平成7年の村山富一首相の談話である。その趣旨は「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするがゆえに、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」となっている。平成20年8月、全国戦没者追悼式で、福田康夫首相もほぼこの十数年来、“公式”となった我が国の“戦争罪悪観”を表明した。上巻「大東亜戦争聖戦論」で筆者はこの歴史観の不当性を繰り返し述べた。

先人たちの名誉を取り戻すこと、それは満洲事変、支那事変から大東亜戦争は多くの失敗や過誤はあったものの、我が国の名誉と民族の誇りとその存亡を賭けた自衛であったことを私たちはまず知ることであり、それが我が国の歴史と正統さを私たちが取り戻すための、第一条件でありまた絶対条件でもある。いわば「東京裁判」で示されたアメリカの歴史観を全面的否定することである。

今日、中国・韓国・北朝鮮・ロシアなどの反日国家が、「日本を極悪の侵略者」と主張することも、未だアメリカが不当にも我が国の大東亜戦争を自分たちの太平洋戦争史観で我が国を“指導”しようとするのも全ては東京裁判で“我が日本の戦前の全てを断絶させた”ことからきているものである。近年の国立無宗教慰霊施設、いわゆる“A級戦犯”の分祀、総理大臣の参拝などの靖国神社問題、従軍慰安婦問題、歴史教科書の自虐記述、中国の南京大屠殺記念館・・・これらの我が国弾劾もその根は東京裁判史観にあり、今日なお多くの我が国の指導者・知識人などが、これら反日国家に同調して東京裁判史観を持ってして自国の歴史を、端的に言って我が国最後の戦争であった大東亜戦争を“侵略戦争”であったと断じているからである。

この政府、多くの政治家・マスコミなどの、“我が日本(すなわち我らの先人たち)が世界を侵略した”という日本侵略論は、今日(平成20年11月)なお、自衛隊航空幕僚長田母神敏雄の、「我が国は侵略をしていない」というまぎれもなき我が日本の正論を封殺して有無を言わさず解任するという姿勢にも強く現れている。


独立回復直後、国民は東京裁判を全面的否定していた!

これらの方々が決定的に見逃していることがある。それは昭和27年、我が国がサンフランシスコ講和条約で主権を回復した時、ほとんどすぐに我が国は全会一致の国会決議で東京裁判のいわゆる戦犯を否定、我が日本国内では“罪人”としないとしており、遺族の方々には年金も支払われることになったということである。また4000万を越す国民署名により、まだ収容されていた国内外の“戦犯”の方々を解放することを当時の政府は各国に交渉、全員の釈放となったことである。すなわち昭和27年に完全ではなかったが主権独立を回復した時、我が国は国民も政治家も、「東京裁判」を否定していたのである(後述「東京裁判」の章参照)。

しかしその後の世界の東西二分の冷戦、我が国内の社会・共産思想の跋扈による学校での左翼教育、声高の言論風潮により多くのマスコミ、政治家たちはわずか数年も経たずして東京裁判に捕われた戦争観、歴史観、それはまさしく自分たちの先人たちが悪かったという自虐史観の常識を持って今日に至っている。政治を、外交をしている。


東條英機大将の名誉回復こそが第一歩であり、また全てである!

あえて言おう。私たちはこの東京裁判(史観)を全否定するためには、どうしても大東亜戦争開戦時の政治責任者として、この東京裁判の最後に堂々と日本の戦争が自衛であったこと、天皇には責任は全くないことを主張した東條英機大将の名誉を回復することが必須であると! 戦後、占領軍からばかりか、日本国民からも、“極悪人”とされた東條大将であるが、東京裁判終盤での「宣誓供述書」は我が国の大東亜戦争の正当性を主張したものであり、その「供述書」はそのためにこそこの裁判で、却下されたものであろう。これが当時の我が国国民に知らされれば、東京裁判そのものが根底から崩れるであろう事を占領軍は恐れたのだ。数多くの戦死者、犠牲者を出したこと、また国民に対して敗戦の責めを自己のものとして、従容として全くの無法の東京裁判の刑に服した東條大将の名誉の回復こそが望まれるのである。靖国神社の「A級戦犯」を分祀せよなどと、今日多くの無情・非情の政治家からも、また国民からも言われているこれら昭和殉難者14名の代表とも言える東條英機大将に、その霊に私たちは、戦後60数年を過ぎた今こそ“栄光”を贈るべきであろう!(後述)


「太平洋戦争」ではない!

上巻でも述べたが、我が国で比較的日本の立場を主張していると見られているメディアである讀賣新聞、産経新聞などでさえ、「太平洋戦争の責任者をはっきりさせるべきだ。敗戦の反省をもっとしよう」と主張する。そして近年(平成17年)、遂にこの讀賣新聞が、「A級戦犯を靖国神社から分祀せよ」と主張し始めた。また讀賣新聞は昭和の戦争を大東亜戦争も含めて「昭和戦争」と呼んで昭和の軍人、政治指導者等を弾劾している。また何よりも先の大戦、すなわち「大東亜戦争」を保守と言われるこれら讀賣、産経新聞から、リベラルとも左翼とも言われる朝日、毎日新聞、NHK、共同通信社など我が国のほとんど全てのメディア、言論人は今なおアメリカ側の呼称であり、戦後の被占領時代に我ら日本人に押しつけられた名称である、「太平洋戦争」と呼び続けている。このこと一つを見ても我が国の大方の歴史観も常識、言論もアメリカや諸反日国家に未だに“支配”されていると言えよう。そのことは我が大和民族史上空前の戦いであり、“日本の物語”でもあったと言うべき大東亜戦争の意義をアメリカやそのほかの外国に乗っ取られたままでいるということでもある。

60年前の東京裁判でも、60年後の今日の日本人からも昭和の時代の祖国を背負った方々が、その時代に生き合わせ、悩み、苦しみながらも“祖国よ、後世の我が子孫よ、後を頼む”と戦ったはずのあの戦争の責めを未だ弾劾されている。〔・・・〕