闘病記 | 頸髄損傷を生きる ワラをも掴め!!
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著 / 出口臥龍
- サイズ:A5判
- 製本:ソフトカバー
- ページ数:192ページ
- 発行日:2012年9月3日
- 価格:1,500円(+消費税)
- ISBN:978-4-903935-85-0
ご好評につき、完売いたしました。
出口様は他にも書籍を作られています。
内容紹介(一部)
プロローグ
ぐあ〜んという衝撃で目が覚めた。
バスの中だった。ソファーのような大きな椅子から、ずり落ちそうになっていた。
わずか十五席しかない、高速道路専用の長距離バスだ。真ん中に通路があり、両サイドに航空機のファーストクラスの座席が据え付けてある。二層構造で客室は二階だ。
台湾支社のある台中市から、首都台北に向かう高速一号線を走っていた。台北へは通常、料金の安い国鉄バスを利用していたが、支社員の王君が勧めるままに、今回は豪華バスを選んだ。
運転席は一階だから、客室の前方は視界を遮るものがない。高速一号線はもう数百回走っている。景色を見れば場所が分かる。
台湾のシリコンバレーと言われる新竹から、桃園インターチェンジにかけてだろう。上り車線は渋滞のクルマでびっしりだ。トイレに立つなら今だと思った。いったん目覚めた乗客たちは再び眠りを貪りはじめた。
客室の中ほどに、一階に下りる階段がある。四段しかないステップを降りきったところで、バスは急発進した。ぐんぐん速度を上げていく。渋滞に捉まった直後、突然堰を切ったように流れ出すというのはよくあることだ。二階に戻るべきか否か逡巡した。だが戻ったところで失禁する懼れがあった。
一分か二分、私は立ち往生した。階段下から二メートルほどのところに、トイレは見えているのだが、足を踏み出そうとする私を、阻む何かがあった。それが何だったか……。
どーんと再び衝撃が襲った。最初の衝撃を凌ぐ大きさだった。私の身体はもんどり打ってすっ飛び、運転席後ろの壁面に頭から突っ込んだ。私の網膜に残った最後の“画像”は、バックミラーを通して私に気をとられる運転手の眼だった。
(以下略)
アメリカン・コーヒー
朝五時半、けたたましい時計の音で目覚めた。いつものようにコーヒーを淹れる。日本から持参した粉をサイフォンに入れ、目いっぱい一リットルほどのアメリカン・コーヒーを作る。それをマグカップに注ぎ、少しずつ啜りながら朝食を準備する。
平成十六(二〇〇四)年一月十二日。
台中の空は青く澄みわたっていた。冬とはいえ春のような暖かさだった。台湾支社はマンションの最上階で、国民中学校の校庭を見下ろす位置にある。三々五々、子どもたちが校門をくぐってくる。この時間に登校してくるのは部活の生徒たちだろう。平穏で静かないつもの光景だ。
十年間勤めた会社に見切りをつけ、独立したのが厄年の四十二歳。三年後には台湾と中国に支社を構えた。だから月に一度は台中に通わねばならない。
六時をちょっと過ぎたころ、王君が出社してきた。つまり私は、台中に滞在中はオフィスに寝泊りしているというわけだ。
この日二人は、台湾北部の首都である台北市に出掛けることになっていた。荷物は前の晩に準備し、約十社のアポイントメントもとってあった。
バスは定刻をわずかに遅れ、七時半過ぎに出発した。台中港路を西に走り、台中インターチェンジから高速道路一号線に入った。乗客はほぼ満席。
約二時間走行し、渋滞に捉まってバスは急停車した。そのショックで私は目覚めたが、バスは高速道路上にあり、場所は新竹あたりと思われた。毎朝コーヒーを五、六杯は飲む私は、この辺りでトイレに立つ習慣であった。
そしてまったく思いがけない大事故に遭遇した。ほんの一瞬の事故で、私の人生は、どんでん返しを喰らってしまった。
(以下略)
エピローグ
人の世は、良きことも悪しきことも『無常』だ、というのが私の考えだ。この世に存在する、ありとあらゆるものに『常』はない。
良いことがあれば悪いことがあり、悪いことがあれば良いことがある。良いこと悪いことが永遠に続くということは決してない。一時にまとめて押し寄せる災難も、ひとつずつ解決していけば何ほどのこともない。
事故から四年になるかならない頃から、ものごとが少しずつ好転するようになってきた。健康が回復してくるのと軌を合わせるかのように。
私の好きな言葉に、「冬来たりなば春遠からじ」というのがある。
永いながい冬だった。受傷から四年近く続いていたような気がする。心も身体も冷え切って、ただただ辛いだけの冬だった。
しかし冬になったからには、必ず春が廻ってくるはずだ。そして春の兆しは着実に見えてきた。来るという確信があったからこそ、厳しい冬を乗り切ることが出来たのだろう。