小説 | 徒然草の断編 悲田院堯蓮と大福長者兼康
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著 / 三浦孝明
三浦様は他にも書籍を作られています。
内容紹介(一部)
一
仁王門の前で、
「方丈華厳院にお通り下さい。忍性様が心待ちになっておられます」
と、寺男が畏まって伝えてきた。
四王門を過ぎると正面に金堂があり、その裏手に講堂があった。方丈華厳院はその裏手にある。
頭頂が高くやや面長な顔に、人並み外れて大きな鼻をした立派な僧が、太い眉の奥にある慈悲深い眼差しを投げかけながら、
「浄蓮殿、よく参られた。さあこれへ」
と、父と私を方丈の奥へ誘って下さった。その方が忍性様であった。
「して……、その水干(男子の平安装束の一つ)のお子はどなたじゃな」
優しげな眼が私に微笑みかけてきた。
(以下略)
二
忍性様は、病に侵された者や貧しき者の救済、道路の建設、港湾の整備、井戸の掘削など様々な活動を鎌倉で行っておられたが、私が極楽寺で五年間の修業を終える頃には、悲田院など親を失った子供達、貧しき者、そして病を得た者のための救済施設に加えて、近隣の桑谷に新たな療養施設を設け、訪れる者を無条件で受け入れて健康状態を訊ね、診断し、介護を行うなどその活動を一層広げておられたのである。
この施設が受け入れた患者数は、年間数千人にも及び、鎌倉の住人の多くがこの施設を訪れて治療を受けていたが、財政面からそれ等を支えていたのは、五代執権時頼様から寄贈された荘園であった。
桑谷の施設には毎月二百名もの患者が来院し、二十名にも及ぶ看護人が活動していたが、それは医僧良忠の著書「看病用心抄」にある、「患者一人に対し、三人の看病人が必要であり、その内一人は病者の傍らにいて病人の要求に答え、一人は枕辺で念仏をすすめ、残る一人は端に控えて雑事に当たるよう」とした看護基準に従ったものであった。
(以下略)
三浦様からいただいた「お客様の声」
紹介記事に共感。編集者と面談し、
間違いのないことを確信しました。
神奈川県横浜市 三浦孝明様
- ―自費出版を行うにあたって、悩んでいたことがありましたか?
- 信頼できる出版社を探すこと。
- ―弊社を知ったきっかけは何でしたか?
- インターネットで検索中に御社の記事を見つけました。
- ―弊社を知ってから、弊社で自費出版するまでに、何か躊躇することがありましたか?
- 複数の業者さんの中から御社にお願いしてよいものか?
どのような会社で、ネット上の記事などは信用してよいものか? - ―弊社で自費出版をしようと決めた一番の理由はなんですか?
- 「自費出版の会」の記事の中で、編集担当の三浦氏が述べておられた2ページ程の紹介記事に共感した事。そして、御社を訪問し、氏と面談して、その事に間違いのないことを確信した事です。
- ―実際に弊社で自費出版してみていかがでしたか?
- これからも、御社でよい本を創ってゆけるのではないかと感じています。
- ―再度、自費出版するとしたら、このようなサービス、このような商品があったらいいと思うものがありますか?
また、弊社へのご要望等ありましたらご自由にお書きください。 - 「自費出版の会」
「会」とは?- 人が集まる
- 人々が集まってする行事
- であい
御社で出版を体験し、これからも続けたいと考える人々の集まりがあってもよいのでは?
ウィキペディアの記事は貧弱ですね、追加加筆が必要では?