小説 | 伝兵衛
-
著 / 夏之始
内容紹介(一部)
これは、十七世紀末に嵐のために船が難破し、漂流の末にカムチャツカ半島に漂着した大阪の商人が、ロシアの大地を駆けた冒険の話である。ロシアの記録によれば、彼がロシアの地を踏んだ最初の日本人であったとされる。時代は第四代将軍・徳川綱吉が生類憐みの令を発布し、許可なく犬を殺したら重罪に処せられた元禄時代後期の頃である。その頃のカムチャツカ半島は、ロシアのシベリア征服の最終段階の地であった。
(以下略)
第一章 漂海
「伝兵衛! このままやったら船が転覆してしまうわ。上積みの荷物をほかすぞ!」
源蔵が、隣の伝兵衛に向かって声を張り上げた。有無を言わせぬ言い方である。源蔵はこの船の船頭である。二人は強風に吹き飛ばされないように後部甲板上の欄干に必死で掴まりながら、船の中央部に山のように積まれた荷物の上で作業をしている乗組員らに指図をしているのだ。横から叩きつけるように降る雨と波しぶきを浴びて頭から足元までずぶぬれであるが、そんなことにかまってはいられない。強風と揺れで一歩間違えば荒れ狂う海に叩き込まれてしまう。船は大波を受けて大きく傾くように揺れ、波しぶきが二人のいる甲板の上まで押し寄せてくる。
(以下略)