自分史 | 私の半生記

書籍画像「私の半生記」

著 / 鎌倉康夫

  • サイズ:A5判
  • 製本:ソフトカバー
  • ページ数:150ページ(カラー9ページ)
  • 発行日:2016年11月13日

内容紹介(一部)

はじめに

最近、新聞、テレビで「戦後七十年」の言葉をよく見聞きします。昭和十七年生まれの、私の過ごした七十数年は文字通り、この期間の過程になります。この間の時代背景を写しながら、「自分史・私の半生記」として、記録に残しておきたいと思い、年明けから記述を始めました。

文科系のサラリーマンの場合、私がそうですが、現役時に行った仕事の内容は一般的にほとんど記録、形に残りません。これに対し建築・理工の技術系の場合、あの建物、橋梁、或いは機械、製品は自分が現役時、設計、開発、製作したものとして形に残り、羨ましい限りです。この点も記録に残しておきたいと思った動機でもあります。

幼少時代、青春時代、社会人時代、退職以降、その時々の時代背景、私が過ごした環境、皆様との出会いと交流を、懐かしく思い出しながら記述し、記録に残すことが出来たことを嬉しく思っています。

一、生まれ故郷

府中市

広島県東部と岡山県との県境にある福山市より福塩線、或いは中国バスにて約四十五分で現在の府中市に行けます。福山市より十八・五キロ、三原市より四十キロの地点にあります。昔は広島県芦品郡府中町と称していました。近くの町は古い名で南に新市町、北に上下町があります。

ここが私の故郷で、昭和十七年五月十九日に産声をあげました。

現在の府中市役所の説明によりますと、市名の由来は七世紀、この地に「備後国府」が置かれ、備後国の政治、経済、文化の中心に由来するそうです。

市の位置は広島県東南部内陸地帯で、市内には北部の竜王山(七六八メートル)、中央部の岳山(七三八メートル)の山々が起伏し、中央部から南部には瀬戸内海に注ぐ芦田川本流、支流が流れています。

人口 四二、五六三人(平成二十二年 国勢調査)

面積 一九五・七一平方キロメートル

歴史 六四六年、大化の改新により備後国府が府中に置かれます。一八七六年、備後六郡が広島県に編入され、一九五四年、近郊の村と合併し府中市制を施行しました。

交通の便 航空機利用の場合、府中市役所前よりバスにて高坂バス停経由、広島空港まで約五十五分、航空機を利用して東京羽田空港まで約一時間三十分。鉄道利用の場合、府中駅より福塩線で福山駅までは約四十五分、中国盆地に向かって三次駅まで約一時間五十分、高速バスを利用すると広島バスセンターまで約一時間三十分です。

(以下略)

あとがき

経済は約十年の中期毎に大きく変化すると言われています。この間、中堅商社の環境は本文に記述しました様に、都度大きく変化しました。

現在では、「会社人間」は後ろ指を指されるかもしれませんが、現役時担当していました業務に無我夢中で取り組み、日々やりがいを感じていた思いがあります。

「高年齢になると、子供の頃を振り返って、楽しかったことはもう一度やってみたくなる」と先輩に聞いたことがあります。定年退職後、私もそんな思いがありました。

本文を読み返して見ますと、幼少期と小学校の頃の思い出を多く記述しているように感じます。多分、その頃が一番純粋で楽しかった時期だった様に思えます。

(以下略)

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